スピリチュアリティ

2011年10月24日 (月)

スピリチュアリティを読む

 これからケアをしようとする相手がどんなスピリチュアリティを持っているかを知ることは大切です。でも、その方法は思ったより難しいものです。たとえば、医師、看護師、心理職などの専門家は、ケアの前に様々な面談法や心理テスト・質問票を使って、論理的に順序立てて聞き取りたいと思うでしょう。スピリチュアル・ペインを抱えている人はそこに合わせることが難しい場合があります。

Spicarelog

 心の痛みを自覚して、そのケアを求めてくる人の場合とは違い、痛みを起こしているスピリチュアリティを自覚していないことが多く、システマティックにケアを受けることへの違和感があります。たとえばキリスト教社会では本人が「スピリチュアリティ」という言葉をわかって、その危機を自覚して、宗教家へケアを渇望する場合がありますが、日本ではそういうことはあまり望めません。聞き取りの目的を相手にわかってもらって、形式的な問答に協力してもらえる、とは限らないのです。
 それでも、専門家としてスピリチュアル・ケアを行おうとする人は知識や技法を学んでおくことが大切です。基礎があって応用も可能となります。特に言語的なスピリチュアルケアには、相手のスピリチュアリティを言語化しなければならないことがあります。また、言葉にならない言葉をつむぎながら、その人固有の物語を形にしていくには、時間や好機を味方につけなければなりません。効率や即効性を求めるファースト・メディスンの対極にあるスロー・メディスンと言えるでしょう。他にも、ケア提供者自身が人生経験を積み、人格を高め、自分を客観的に理解しようとする営みが必要で、これも一朝一夕では成らないものです。

Photo

 しかし、本ブログではいたずらに敷居をあげるつもりはありません。医療に限らず、教育現場、職場、地域、家庭でスピリチュアリティを意識したコミュニケーションがとれる人を増やすことが目的です。そのために最低限必要なことをお伝えします。
 それは、人への興味と温かい思いを持ちながら、なるべく多くの人の物語を知ることです。市井の人と接し、その人の生きてきた道や考え方、幸不幸、好き嫌い、喜びや悲しみ、希望や悩みなどにただ耳を傾けます。そして、フィクションでもノンフィクションでもできるだけ多くの人生を、スピリチュアリティの視点で読んでみることです。

 ※ここまでのスピリチュアリティについてのブログ記事を順番に読みたい方は左枠のLINKSにあるスピリチュアリティシリーズ前編をクリックしてみてください。まだまだ連載は続きます。

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2011年9月22日 (木)

スピリチュアル・ケアの基本

 スピリチュアル・ケアはケア提供者が相手の考えや気持ちに寄り添うことが優先されますので、まず傾聴が基本となります。本ブログでは以前に傾聴について特集を組みました。左コラムのLINKSの傾聴シリーズか、ここをクリックすれば関連記事を順番に読むことができます。その中でもっとも大事なのがナラティブなスタンス(傾聴モード②)です。相手の世界観・価値観・人生観を理解するには、自分のそれを一度横に置いてみる必要があります。

Narrative

 スピリチュアル・クライシスに直面したばかりの人は孤独な状態にあります。あなたが心をこめて呼びかけても、悲しみの涙で満たされた水中にたたずむ熱帯魚が、水槽の外を眺めるようにしか受け止められないこともあります。まず、相手の物語の中にあなたが登場しないことにはケアは始まりません。その時に、医師や看護師やケア専門家は知らず知らずに、自分の物語を強烈にアピールしてしまいがちです。それは言葉だけでなく、表情、態度、物腰、その人がかもしだす雰囲気、そして、制服までも…。

Kingyo

 僧侶や牧師など宗教家のケアは世界的には本流ですが、日本では残念ながら広く浸透しにくいものがあります。宗教の教義では固定した世界観・死生観を真理としてとらえ、その中で相手を救おうとしますが、同じ信仰を持たない人にとっては「別の物語」に過ぎません。
 相手がケア提供者の物語を受け入れる気がなければ、どんなに訓練された医療関係者や宗教家でもその価値はなくなります。逆に、あなたが相手の物語に入ることが許されれば、あなたを含めた新しい再生の物語が綴られる可能性があるのです。

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2011年9月12日 (月)

平時のスピリチュアリティ

 不治の病に冒された時や全ての希望を失った時などに「人は何のために生きているのか」という疑問が頭をもたげます。ところが、幸福や歓喜の時にはそうした疑問は湧いてこないものです。ただ、中には人生の意味や社会との関わりを日常的に意識しながら生きている人もいます。
 たとえば、普段から大きいスピリチュアリティを持っている人は、私は大自然に生かされているとか、人類の歴史に貢献したい、という風に時間や空間を越えた人生を生きています。まるで宇宙から自分を眺めているように。

Bigspirit

 また、普段から深いスピリチュアリティを持っている人は、徳を積んで人格を向上させたいとか、悟りを開いて真理を知りたいとか、という風に修行僧のような人生を生きています。まるで自分の中に宇宙があるように。

Deepsprit

 こうした人達はスピリチュアル・クライシス、つまり想定外の事態を乗り越えやすいかもしれません。逆に、乗り越えた人はスピリチュアリティを深く大きく変化させることに成功したと言えます。

Michitama3

 まあ、そこまで行かなくても、ひとは他人の健康や幸せを願ったり、天に誓ったり、先祖供養したり、募金やエコ活動したりすることは珍しくありません。これらは直接自分の生活や損得とは関係ありません。そうしなくても生きていけるのだから、そうしなくても良いわけです。ただ、そういうものを一切排除した場合、たとえメンタリティが安定していても、他人の目からは何か寂しい人生のように見えます。また、その人のスピリチュアリティのフィルターを通して見る世界は何一つ楽しげな色を持たないのかもしれないのです。

Spifilter

 スピリチュアリティの問題は有事の時にだけ浮かび上がってくるわけではなく、平時にも私たちの人生に見えないところで影響を及ぼしている、というのが私の主張です。だからこそ今の時代、スピリチュアル・ケアは緩和医療だけでなく、様々な場面(職場・家庭・学校・地域)で必要とされるはずです。では、スピリチュアル・ケアとは具体的にどんなものを言うのでしょうか?

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2011年9月 7日 (水)

スピリチュアル・ケアへの誤解

 医療でスピリチュアル・ペインが取り上げられるのは、不治の病や死を宣告された時だけです。しかし、年間自殺者数が三万人を切らず、うつや引きこもりなどが急増している背景に、このスピリチュアル・ペインがあるに違いないのです。生きることをやめようというには、それだけの理由があるはずだからです。
 生きがいも存在意義も失われ、信念や人生観や世界観が崩れていく時に、単にメンタリティをあげるケアでは追いつきません。スピリチュアリティをあげるケア、つまりスピリチュアル・ケアが必要となります。Baloonbreak

 

 ところが、多くの人はオカルトや宗教を連想して、日本人にあうスピリチュアル・ケアやそれを提供する専門家へのニーズが高まりません。たしかに欧米の場合は長い間キリスト教の牧師がケアを提供してきました。欧米人の多くがキリスト教の世界観・死生観を受け入れているため、そうした導きを欲したのです。ところが日本にはそれだけ強く普遍的な世界観・死生観はありません。仏壇や墓石があっても仏教の教義を全面的に受け入れ、自分の世界観にまで高めようとしている人は少ないでしょう。

2ways

 上智大学の谷山洋三氏は宗教的ケアとスピリチュアルケアとは本質的に異なるものだと主張しています。つまり、宗教ケアは宗教家が自分の立ち位置に相手を導き入れるもので、主導権はあくまでも宗教家側にあります。一方、スピリチュアル・ケアはケア提供者が自分の考えは置いて、相手の考えや気持ちに寄り添うこと自体が目的なので、生きていく意義などの答えをあらかじめ準備したり、相手に押しつけたりはしません。

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2011年9月 1日 (木)

緩和ケア

 スピリチュアル・ペインという一般にはなじみの薄い言葉をここでとりあげる理由は何でしょうか?
 実はいまガン診療にたずさわる医師が全国で緩和ケア研修を受けています。これは病気を治療することを優先する余り、患者さんの苦痛に目を向けて来なかった医療関係者の体質を改め、ガンの痛みなどを確実に軽減する技量を身につける目的です。

Kanwacare

 その中でスピリチュアル・ペインの緩和が謳われています。しかし、何がスピリチュアル・ペインか、その緩和の方法、つまりスピリチュアル・ケアがどういうものか、は詳しく解説されていません。
 実はWHO(世界保健機関)が緩和ケアの定義の中に「スピリチュアルな問題への対処」を含めてしまったものの、これは欧米などのキリスト教社会が古くから宗教的ケアを行ってきた歴史があったからです。従って、スピリチュアルという言葉とともにその解釈やケアをそのまま輸入することは、とても日本人の心情にはそぐわないのです。

Pallicare1

 一方、日本人にもガンの末期にはスピリチュアル・ペインというべき苦痛がたしかに観察され、それに対するケアのニーズがあります。日本ホスピス緩和ケア協会のパンフレットを見ればそのイメージが伝わってきます。絵はパンフの引用ですが、キャプションはその絵のメッセージを私が勝手に読み取って言葉にしたものです。

Pallicare2

 たとえば、死のイメージを絵に表すことができても、上のように言葉にすると、それは死生観になります。一定の宗教を持たない日本人は死生観を常に意識したり、それを作り上げていくことはしません。死を目の前にした時に、それぞれの自由な考えにまかせて、ぼんやりとイメージするだけです。最期まで死を拒否する立場をとることも珍しくはありません。

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2011年8月29日 (月)

スピリチュアル・ペイン

Breakegg

 心を黄身に例えると卵のカラがひび割れ始める状況がスピリチュアル・クライシス、つまり存在の危機です。その時に感じる心の痛みがスピリチュアル・ペインです。

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 どういう人生の出来事がスピリチュアル・ペインとして自覚されるかというと、例えば①不治の病、②倒産やリストラ、③失恋や離婚、④肉親や親友の死、⑤巨額の借金、⑥執拗ないじめ、などです。

 しかし、これらが必ずスピリチュアル・ペインをきたすわけではありません。その人によって、時期によって、程度によって変わります。たとえば、他の人にとっては揺れ程度に感じられることが、本人にとっては衝撃であったりします。一回の重い出来事ではなく、複数回にわたる経験が疲労骨折のような効果をもたらす場合もあります。

Outerspipe

 スピリチュアル・ペインは単に苦しいだけでなく、絶望や混乱や不安などを引き起こします。メンタルの苦しみとは違い、初めて味わう感覚や迷いがあるはずです。たとえば、「世間や会社は私にとって何だろう?」「私がいなくなったら世界はどうなるのか?」という外的世界との関係に疑問を生じます。

Innerspipe

 そして、「私は何の為に生きているのか?」「私は何者なのか?」「死んだらどうなるのか?」という内的世界、自分自身に対する疑問を生じます。

Michitama1

 その結果、全ての支えを無くせば生きていくことをやめてしまうでしょう。しかし、スピリチュアリティが修復されたり、新しく作り替えられれば、その危機を乗り越えられるかもしれないのです。つまり、クライシスは単なる破滅ではなく、人生の分かれ道といえます。

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2011年8月27日 (土)

心の防御機構

Kusshon

 卵を座布団の上に落としたぐらいでは、中の黄身は崩れません。黄身の周囲には卵白やカラザがあって衝撃を吸収してくれます。心を黄身に例えると、心はこのようなクッションの働きによって、日々のストレスから守られています。

Ranpaku

 このクッションがしっかり働いてくれていれば、心は比較的安定しています。逆に軟弱だと、心は揺れっぱなしですが、それでも安定させようという作用があるので、何とか生きてゆけます。

Rankaku

 一方、スピリチュアリティはその外側にあって卵全体を支えているカラの部分です。

Kusshon2

 実は黄身にしてみれば、周囲の卵白が大事で、カラの存在には無頓着です。そんな守りがあることは意識しなくても良いのです。

Kusshon3

 ところが、卵を堅い床に落とせば当然カラは割れます。このように想定外の大きな災厄や不幸にみまわれた場合、心は経験したことが無いような危険にさらされます。

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2011年8月25日 (木)

スピリチュアリティとメンタリティの違い

 生きていくことができないと感じる心の痛みをスピリチュアル・ペインと呼びます。それを感じている時は、自分の存在・人生・未来に意義を見いだせなくなるため、自殺などの恐れがある危機的状況(スピリチュアル・クライシス)にあります。
 リラックス法の達人ではメンタリティとスピリチュアリティを違う心の働きととらえ、そのケアの方法をお伝えしたいと思います。

 第一回目は「メンタリティとスピリチュアリティの違い」です。

Mentality

 メンタリティ(心情)は簡単に変化します。上司からミスを叱られて凹んでも、自分の応援しているプロ野球チームが勝てば嬉しくなって元気が出ます。日常で起こるメンタリティの波は存在をおびやかすほどの影響はありません。

 それではスピリチュアリティとは何でしょうか。WHO(世界保健機関)では「人間の心にわきおこってきた(気高い)観念」とありますが、これではよくわかりません。実は研究者によってとらえ方が違い、国際的に一致した見解はありません。日本語に訳すと「霊性」「魂」となり、宗教や神秘主義を連想し、日本では敬遠されて研究や普及が進みません。

Spilituality


 ここでは仮りに次のように定義します。つまり、スピリチュアリティは「生きがい、存在意義、世界観、人生観、信念、価値観」などです。これらは日常的に常に意識しなくても生きてゆけます。また、なかなか言葉で言い表すことはできません。しかし、実はその人の存在を確かに支えているものです。

スピリチュアリティ・シリーズ前編はリンク先で順番に読むことができます。傾聴シリーズはこちらをクリックしてください。また、スピリチュアルケアに関しては、順天堂大学静岡病院のキャンサーボード資料(より良き看取りのために)を参考にしてください。Scribdでダウンロードできます。

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