生き方提案

2011年1月23日 (日)

relax064 気のあう人と会う

 その人と会って、たわいもない話をするだけで、リフレッシュできて自分らしさを取り戻せるという相手がいるはずです。相性や波長というものは確実に存在します。疎遠になって、つい忘れていた人でも久しぶりに会ってみるとよくわかります。

 いくら気があっても同業者や仕事の関係者や身内だと、会っても晴れ晴れしないことがあります。そういう時は、できれば利害関係が無い、幼なじみに年に一回か二回程度会うことをおすすめします。社会とのしがらみがなく、自由な発想で夢を描いていた頃の自分を思い出せるかもしれません。

 会った後に心に負担が無く、気持ちがおだやかになっているのであれば、いざという時のリラックス法の一つに数えて良いでしょう。

Iroripic

 右は知人宅の離れに招かれた時のものです。夜の静寂に、囲炉裏をかこんで飲み食いするうちに、すっかりリラックスして楽しいひとときを過ごすことができました。

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2011年1月 6日 (木)

relax063 挨拶してみる

 タイ国では胸の前で手を合わせてお辞儀するワイという挨拶を受けます。目上の者などへの敬意を表すため、小さい頃から作法の教育を受けており、その美しい挨拶の形に外客の多くは感動します。

 日本では、人に挨拶するということに勇気がいります。返事がなければどうしようと思い、お互いにだんだん挨拶できなくなってきます。また、部下や生徒なのに挨拶しないと、遺恨を残したり、非常識の烙印を押されたりします。逆に、気持ちの良い挨拶は好感を持たれます。つまり、円滑な人間関係を生むのです。

 もともとの挨拶は「私はあなたの敵ではありません」とか、「私はあなたに敬意を表したい」いうことを示す儀礼的なものだったのかもしれません。しかし、引きこもりがちな現代人にとって挨拶は「私はここにいる、そして、あなたがいる」という互いの存在を確認し、響き合わせるチャンスになります。「私もあなたもいてくれてありがとう」その宣言に癒しを感じるのは不思議なことではないはずです。

 恥ずかしくても、不自然でも、少なくとも家族や知人には挨拶運動してみましょう。また、「いただきます」「ごちそうさま」の挨拶は食事を作ってくれる人への感謝の心を示すことにもなります。一人であっても、目の前にいない農家さんへの感謝の心を示すチャンスなのです。

 さて、あなたは今日は何度挨拶をしましたか?

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2010年12月27日 (月)

relax062 家庭や職場で「ありがとう」を言う

 うつ病を発症しやすい職場では上司が部下をほめたり、互いの労をねぎらったり、そうした雰囲気がないそうです。感謝の言葉はコミュニケーションの潤滑油とともに最高のリラックス法になります。

 また、いちいち口に出さなくても感謝しているんだからその気持ちは伝えなくて良い、という考えの人がいます。でも、それは本当に感謝しているとは言えません。むすっとした顔であればなおさらです。こうした傾向は熟年夫婦にありがちで、ともすれば離婚の原因にもなります。

 感謝の言葉は美しく、相手や自分の心にも耳にも心地よく響きます。恥ずかしくても「ありがとう」という言葉をかけてみてください。最初は不思議な顔されるかもしれませんが、いつか「感謝」の連鎖反応があなたのもとに返ってくるはずです。

 NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」主題歌だった、いきものがかりの『ありがとう』は大ヒットしました。伝えたいけど、声にならない「ありがとう」の気持が胸をうちます。

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2010年8月 9日 (月)

relax060 家族や職場の人の誕生日を祝う

 身近な人とうまくコミュニケーションをとれた時に、お互いに癒されることはよく経験されます。人と人は見えない糸で結ばれていて、太い細いがあるのかもしれません。そうした縁を意識してみることでずいぶんと生活に潤いができるものです。
 子どもの頃はよく誕生日会を開きます。だんだん年を重ねていくうちにやらなくなります。でも、誕生日は「生まれてくれてありがとう」と、その人の存在に感謝し、誕生の喜びを一緒に確認するためのものです。家族や職場で小さな誕生日イベントを行って、普段はできないような心の交流の場を作ってみてください。

             

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2010年3月22日 (月)

慈愛に満ちた手と目の話

 国際NGOワールドビジョンが5月5日のこどもの日までに20000件の手の写真とメッセージを募集し、一投稿につき企業が100円支援するという企画を行っています。

Hands

 そこで私も3月2日に手の写真とメッセージ「君が笑顔を取り戻すまで、何度でも手をさしのべるから。世界のどこにいても、つながっているから」を送りました。写真にあるのは岩手で講演会をした際にいただいた小さなカッパのお面です。
 他の人達の投稿写真を見てみると、手にはそれぞれ表情があり十人十色でありながら、やさしい心を感じさせる共通した何かがあります。それは仏像の手に表現されている慈悲の心ではないかと思います。
 手と目という字を合わせると看という漢字になります。介の字は人を二本の脚で支えている形です。介護は看護と違って日常生活に密着した大変さがあります。だから、少々泥臭くても良いのです。
 しかし、看護が清らかで慈愛に満ちた手と目を失ってしまったら、本来の目的を果たすことはできなくなると思います。
 皆さんもこの機会に御自分の手を見つめてみてはいかがでしょうか。

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2009年4月30日 (木)

薄暮の洋風公園にて

Shibazahakubo1  連日にぎわっている大仁瑞泉郷花まつりですが、残り6日となりました。万象台のツツジや牡丹園やフジなど見所が多く、芝桜もピークは過ぎましたがまだ楽しめます。

 受け入れが終わった静かな場内を見回りしていると、薄暮に浮かび上がる美しい風景にうっとりとしてたたずみました。暗くなるまでのほんの短い時間。その瞬間を誰も止めることはできません。ふと学生時代に読んだ本の一節を思い出しました。

Shibazahakubo2  一つは、ゲーテ「ファウスト」の「時よ止まれ、おまえは美しい」
 もう一つは、芥川龍之介「舞踏会」です。
 「私は花火の事を考えていたのです。我々の生(ヴイ)のような花火の事を」

 自分を幸福だと思える人は、日常的に「小恍惚感」という短くも深い幸福感を得ている人だ、と渡部昇一氏が書いていました。私も瑞泉郷に来て、これは正しい、と思いました。そして、本当の幸福感は時間を越えるものである、とも思います。

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2009年2月19日 (木)

ジェームズ・アレン「人は心の中で思った通りの人間になる」①

 今日の朗読音声は英国の哲学者ジェームズ・アレンの「人は心の中で思った通りの人間になる」から「想念と人格」をお送り致します。

 ジェームズ・アレン(1864~1912)は日本ではあまり知られてはいませんが、欧米では聖書に次ぐベストセラーと言われるほどよく読まれた著作家です。「人間は想念通りになる」といった簡潔な哲学が万人に受けるのでしょう。彼は地位も名誉も財産も望まず、つつましやかで静かな生活を送りながら、9年間の執筆活動の後、若くして亡くなっています。

Junichirokoizumi  しかし、彼の著作を読んだ多くの人が勇気づけられ、その信条を受け継いで成功を勝ち取る者も現れました。そして、成功哲学や自己啓発書に頻繁に引用されることになったわけです。でも、彼自身が世俗の成功に興味を示さなかったことを考えると実に皮肉な話です。

 今回は耳で聞いてもわかりやすい日本語意訳(Word文書download)に挑戦してみました。英語版はGoogleの書籍プレビューをごらんください。イラストでは小泉純一郎元総理に登場してもらい、国家や政治家の品格についてジェームズ・アレン風に語ってもらいました。

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2009年2月 6日 (金)

私のしごと観

 宮崎駿監督のアニメ映画「千と千尋の神隠し」にカオナシという登場人物があります。ネット社会の匿名性が脅威となる事件を見るたび、このキャラクターを思い出します。

Kaonashi  自らの顔や言葉をもたないカオナシは、主人公の千尋の優しさに触れて、小さなうめき声をあげるだけのひ弱な存在にしか見えません。実はその孤独感はブラックホールのように底なしです。カオナシは手から金(の振りした土塊)を出し、金塊に目がくらんだ者とその欲望を呑み込み、そのたびに体が巨大化し、凶暴化していきます。その者たちの声や姿を借りて、「千尋を呼べ」と荒ぶるのです。呼び出された千尋は恐れることなく、金なんか要らない、と言ってカオナシを激怒させます。おそらく、その凶悪さがカオナシの本質から出たものではないことを見抜いていたのでしょう。その後の展開は‥映画を見てください。

 他に、廃墟と化したテーマパーク、食欲の権化になって豚の姿に変えられてしまう両親、超過保護の巨大児など現代を象徴した場面がいくつも出てきます。

 テーマの一つに「仕事」があります。千尋が迷い込んだ異界は湯婆婆(ゆばあば)が仕切っています。湯婆婆に仕事をもらえない者はここでは生きてはいけず、虫や動物に姿を変えられてしまいます。そして、仕事をもらった者は名前を剥奪されてしまうのです。
 千尋:働かせてください!
 湯婆婆:分かったから静かにしておくれ!(赤ん坊に向かって)おお~よしよし契約書だよ。そこに名前を書きな。働かせてやる。その代わりいやだとか、帰りたいとか言ったら、すぐ子豚にしてやるからね。
 千尋:あの、名前ってここですか?
 湯婆婆:そうだよ。もうぐずぐずしないでさっさと書きな!まったく…つまらない誓いをたてちまったもんだよ。働きたい者には仕事をやるだなんて….

 様々なミスを繰り返しながら、つらい「仕事」を何とかこなして、たくましく成長していく千尋の姿を通して、現代の仕事観に欠けている次の視点を教えてくれます。
 「自分が探した仕事は、実は天がくれた天職かもしれない」
 「自分が仕事を選んでるように見えても、仕事が自分を選んでいるのかもしれない」
 「自分が仕事を変えるのでなく、仕事が自分を変えてくれるのかもしれない」

 現代日本は常識はずれの異界にも似た様相を呈しています。でも、そんな世界でも、自分の心中にあるカオナシを暴走させず、自らの居場所(名前)を見つけ、かならず満足のゆく人生をおくることができるはずだと思うのです。

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2009年1月19日 (月)

relax026 故人をしのぶ

 身内や親しい人が亡くなるというのは辛い経験です。二度と会えないという淋しさや哀しさ、そして人生の虚しさを感じ、しばらく心にぽっかり穴があいたようになるものです。しかし、時がたつにつれて、心の傷は癒え、次第に故人の面影も徐々に薄れていきます。

 忘れるというのは薄情のように見えますが、心を守る働きなのです。長年、故人の死を受け入れられずにいると、残された人の心や体が病んでしまうことがあるからです。あなた自身も自分が死んだ後、知人には涙を流してもらいたいけれど、何年も引きずってもらいたくないでしょう。

Jiineru  日本には墓参りやお盆やお彼岸など良い習慣があります。普段忘れて良いのは、そうした機会があるからです。心の傷が癒えた後に故人をしのんで思い出を楽しく語り合ってみてください。なつかしい面影が一時的に鮮明になり、楽しい記憶がよみがえってきます。その人のことを全く忘れてしまったわけではなく、心の宝石箱に大事にしまっておいたのです。

 故人の思い出話をした後に、心が満たされ、安堵感が広がることがあります。それは、「死んだら終わり、私の存在は無かったことになってしまう」という人生の虚しさが少し薄まるからだと思います。他人とのきずなは大切しなくちゃ、と思える瞬間です。

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2008年12月30日 (火)

relax024 写真を整理する

Album  誰にでもいつか整理しようと思って放ってある写真があるものです。デジカメも次々とるだけとって見返していないものがあるでしょう。
 時間を見つけて、古い写真でアルバムづくりをしてみましょう。時間経過に沿って並べるだけではなく、テーマ別に再構成したり、コメントを添えたりすると楽しめます。

 人生の振り返りと同時に新たな発見ができるかもしれません。写真は目に見える物だけの記録だけではなく、その時の空気や気分を思い出させます。また、あなたの写っている写真があるということは、誰かが意志をもって写してくれているわけです。

 また、印象が薄い時期、辛くて振り返りたくなかった時期の写真もあるでしょう。しかし、現在の自分からその時期を見返してみると、その頃には思ってもみなかった解釈ができるものです。上手くすると、あなた自身で人生の物語をより良く塗り替えることができるかもしれません。そうすると印象が薄かった時期が懐かしく思えたり、辛かった時期のおかげで今の自分があることに気づいたり、意外な展開があります。

 もちろん、これがリラックス法として成り立つかどうかは、生々しい人生の出来事(ライフイベント)からのタイミングが関係します。いずれにせよ、写真を整理する、ということは部屋を整理することに似て、その後いかに快適に生活できるかが重要なポイントになります。

 さて、春からはじめたブログが今回の記事で99番目となりました。今日現在、YAHOOで「リラックス法」を検索すると、1600万件のうち何と5番目に位置するようになりました。これもひとえに訪れてくださった皆様のおかげです。来年は、リラックス法101の続きはもちろん、新たな企画展開を考えていますので、是非お楽しみに!では、良い年をお迎えくださいhappy01

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