草木虫魚シリーズ「物の味」
今回の「艸木虫魚」シリーズは「物の味」をお送りします。江戸時代中期の絵師で、四条派の始祖になった松村呉春が今回の主役です。呉春は貧乏に我慢がなら なくなり、自暴自棄になってしまいます。死の淵から帰還した呉春の最後のセリフに、生きる力、生きる覚悟のようなものが込められています。
今回も薄田泣菫の名筆が冴えた逸品と なっています。この味をぜひご堪能あれ。
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今回の「艸木虫魚」シリーズは「物の味」をお送りします。江戸時代中期の絵師で、四条派の始祖になった松村呉春が今回の主役です。呉春は貧乏に我慢がなら なくなり、自暴自棄になってしまいます。死の淵から帰還した呉春の最後のセリフに、生きる力、生きる覚悟のようなものが込められています。
今回も薄田泣菫の名筆が冴えた逸品と なっています。この味をぜひご堪能あれ。
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今回の「艸木虫魚」シリーズは「仙人と石」をお送りします。とぼけた味わいと独特なユーモアのある幻想譚ですが、実は哲学的な深~い内容がこめられています。幸せを求めて旅を続ける仙人と、不動のままその環境を受け入れている石との会話が中心です。かみあっているような、でも結局はお互いを理解できずに別れていく姿が印象的です。さまざまな仕事を渡り歩く人と一つの仕事を一生続ける人、チャレンジ精神旺盛な人と安定志向の人、などを象徴しているのかもしれません。それでいて「幸せって何だっけ、何だっけ」という明石家さんまのCMを思わせる軽さで仕上げてあるので、重くなりすぎずイイ感じです。
高速回線でない場合はケロログのボイスブログにアクセスした方が聞きやすいかもしれません。
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今回の朗読も薄田泣菫の「艸木虫魚」から「糸瓜(へちま)」をお送りします。これを聞くとぶらさがっている糸瓜とキリンのオリを見たくなります。登場する医師のM氏の声は、私の尊敬するN医学博士をマネしてみました。糸瓜の姿を眺めてのんびりしようというM氏の気持ち、よくわかります。
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今回から名エッセイ「艸木虫魚」シリーズから選んで朗読していきます。これは薄田泣菫(すすきだきゅうきん)が古今東西の気の利いたエピソードを織りまぜながら、優しい眼差しで自然を描写する珠玉の小品集です。第一回目は「蜜柑」。とぼけた味わいがあって楽しめます。
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今回の朗読音声は上田敏の訳詩集「海潮音」。内容は秋のセンチメンタリズムを増強する哀愁に満ちたものばかり。ですから、朗読の後に思いっきりポップな曲調で歌ってみました。これで鬱々とした秋のセンチメンタリズムをぶっとばしてください!
落葉 ポオル・ヴェルレエヌ
秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。
鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。
げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。
山のあなた カアル・ブッセ
山のあなたの空遠く
「幸(さいはひ)」住むと人のいふ。
噫(ああ)、われひとゝ尋(と)めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸(さいはひ)」住むと人のいふ。
曲に込めたメッセージは、「今は近くに見あたらないけれど、必ず幸せがあるんだから見つけてみせるさ!」という前向きなものです。出口が見つからないだけであきらめないで。春が来ない冬は無く、明けない夜は無いのだから。
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今回は「一房の葡萄」の後編です。前半の重苦しさを救うのは天使のような美しい女性教師です。有島武郎は東京小石川水道町に生まれましたが、父親の仕事の関係で4歳の時に横浜に移り、6歳から9歳まで横浜英和学校に通い外国人とともに学びました。ここは明治13年にキリスト教宣教師のブリテンが創立した学校で、現在の横浜英和小学校です。
当時宣教師として働いていたミス・クリテンデンが本作品の外国人教師のモデルと言われています。恐らく幼心に強いあこがれを感じていたことでしょう。有島武郎は成人後にキリスト教に一時入信しています。本作品はそうした雰囲気を色濃く漂わせているため、賛美歌がよく似合うのだと思います。つまり、罪と罰、良心の呵責と赦し、光と影などが描かれています。しかし、注目したいのは先生の教育姿勢です。
誰にもあやまちがあり、それを悔いる良心があります。先生はそれを静かに感じとって、感情的に叱らず、愛情で包みこみます。そして、同級生のジムには「赦すことの尊さ」を伝えたのでしょう。翌日にはガラリと気持ちを変えることに成功しています。
先生は「僕」とジムの二人に一房の葡萄を分け与えます。白い掌に乗せられた葡萄が鮮やかなイメージを生みだしています。そして、それは今の時代に必要なものを象徴しているように思えてなりません。
音源はクラッシック名曲サウンドライブラリーさんのPC打ち込みによるものを使用させていただいています。最後のBGMはAudioMicroから購入したAllelujah Our Fathers (by barneymcall)という曲です。
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有島武郎「一房の葡萄」は「僕」の甘酸っぱく痛い思い出を一人称で語ったものです。「赤い鳥」という子ども向けの雑誌で発表されていますし、口調から「僕」はまだ成人前と判断して読み方を工夫しています。ラストに流す音楽を探していたら、著作権付きの音源を提供しているAudioMicroでぴったりの曲があり購入しました。子どもの声の賛美歌に心洗われること間違いなしです。なお、他の音源はすべてクラッシック名曲サウンドライブラリーさんのPC打ち込みによるものを使用させていただいています。
絵を描くのが好きな「僕」は、自分の絵の具ではどうしても海の藍色と帆船の水際近くに塗ってある洋紅色を出せないので残念に思っていました。そこで思い出したのはジムという同級生の持っている西洋絵の具です。それを思うほどに手に入れたくて仕方がなくなり、とうとうその二色を盗んでしまいます。
今、薬物汚染など若者達が簡単に犯罪に手を染めてしまう時代になりました。そのハードルの低さには驚かされます。その原因の一つとして、大人が子どもに善悪の区別を教え導くことができなくなった背景があります。というか、示しがつかない事件ばかりが新聞を賑わせているわけです。
「つらいから癒しを求める」ということがエスカレートすると人生を踏み外すことがあります。「痛い思い」が人を成長させ、人生を修正させるのだとわかることが、リラックス法の達人になる秘訣なのです。
さて、藍と洋紅色は明治・大正時代の教科書ではインディゴとクリムソン・レーキだったそうですが、童話のイメージとは合いません。有島武郎自身が描いた挿絵にはBLUEとSCARETの文字があり、サクラクレパスのホームページでは藍色はウルトラマリンかプルシアンブルー、洋紅色はスカーレットではないかと推理しています。
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さて、今回は宮沢賢治「雨ニモマケズ」三つのバージョンをセットにしたものをお送りします。本当はもう一本、某政治家のモノマネで録音してあるのですが、選挙の時期なので自主規制しました。
色々な朗読方法をチャレンジしているうちに、手帳を開いては「雨ニモマケズ」を読んでいる賢治の姿が目に浮かんできました。詩として発表するつもりなら校正するでしょう。でも、写真を見てもわかるように、校正どころか、間違うことや迷うことなく、大きな字で堂々と書き下してあるのです。見事というか、天の声を受けてそのまま書いたのかと思うほどです。
私は読むほどに励まされていくような不思議な感じがありました。逆立ちしてもできないようなストイックな生き方を謳った詩なのに、読み終えた時に前向きに生きていこう、また明日も生きていこう、と思えるのです。
ということは、賢治だって自分で書いた言葉に励まされたに違いないのです。法華経の熱心な信者だった賢治も毎日揺れていたはずで、一瞬達観したかと思うと、迷ったり、自信をなくしたり、焦ったり、いろいろあったと思います。その時に「そうなんだよな-、そうやってボクは生きたいんだよね」と確認するために、座右の銘のように、しっかりした大きな字で、いつも身につけている手帳に書いたのではないでしょうか。だから、発表するつもりどころか、文学作品とも思っていなかった‥。
朗読を終えて、そんな風なことを想像しました。お聞きになったあなたに賢治の気持ちが少しでも伝わることを祈っています。
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今回は宮沢賢治「雨ニモマケズ」東北なまり版の朗読音声をお送りします。蛙の合唱をバックにしたせいか、とてものどかな感じになりました。
私は横浜生まれで、まったくの標準語しか話せません。長岡輝子さんの方言による朗読に感動して録音してみました。ところが、参議院議員の今野東氏が東北弁で見事に朗読しているのを知りました。プロのアナウンサーですから私がかなうはずがありませんが、比較して聞いてみてください。
私の祖父が青森生まれで、一時同居していました。落ち着かない子どもだった私はしょっちゅう祖父からお小言をいただきました。何を叱られているのか、ほとんど言葉がわからず、祖父に甘えることはしませんでした。振りかえると祖父には気の毒なことをしたと思います。しかし、いま東北弁を聞くと、申し訳ない気持ちになるよりも、なつかしく、心が温かくなります。おそらく、それは私にも確実に祖父の血が流れているからなのでしょう。
だからといって、東北弁で朗読して良し、という公認をいただいているわけではありません。ただ、東北なまり版の「雨ニモマケズ」は、気負わず自然体で「デクノボーやってみますが、何か?」という感じが出せました。
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さて、予告通り、今回は宮沢賢治「雨ニモマケズ」をアニメ声でお送りします。アニメ声という表現は地声でもアニメのような声という意味でした。これは演技なので、違いますね。
今まで私は「雨ニモマケズ」を通常版のように読んでいたので、賢治の信仰理念をこめた重苦しい修行僧の詩だと思っていました。ところが、アニメのような声で読むと、また感じが違うのです。フツーの人がフツーの生活をしている中で、ふと誰もが、そんな生き方がいいな、という瞬間があるかもしれない、そう思えたのです。そうすると、ひどく身近な詩になってくるから不思議です。
アニメ声版は私の「雨ニモマケズ」への見方をガラッと変えました。朗読するのが楽しくなってきました。さて、次回は東北なまり版、蛙の合唱入りです。お楽しみに!
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