映画「おくりびと」のこと
昨日、映画「おくりびと」(滝田洋二監督・本木雅弘主演)が米アカデミー外国語映画賞を受賞したという朗報が舞い込んできました。日本古来の、しかし、日本人が見失いつつある死生観を淡々と描いた映画で、私も注目していた作品です。
映画の元になった本があり、それが「納棺夫日記」(青木新門・著)です。ふとしたきっかけで納棺夫(御遺体を棺に納める仕事)になった青木さんが、様々な実体験を通して死や人生に対して今までにない見方ができるようになったのを感じ、文章につむぎだしたものです。
十年前、私は呼吸器内科医としてたくさんの人の死を看取らせていただいていました。自分の患者さんだけでなく、不思議と死の場面に立ち会うことが多く、人生から何か課題を与えられているような気がしました。同僚も同じ現場にいるものの、お互いに多忙を極めていて、そうした思いを吐露しあう場面はありませんでした。その時に出会ったのが青木さんの「納棺夫日記」でした。
そこには私の悩みや私の得た感覚、光のようなものが的確に表現されていました。なかでも、末期患者には「説法も言葉もいらない。きれいな青空のような瞳をした、すきとおった風のような人が、側にいるだけでいい」という文章が、鮮烈なイメージとともに私の心に刻み込まれました。
映画を見て、その感銘を新たにした私は、失礼をかえりみず、青木さんのHPにメールしました。それに対して丁寧なお返事をいただきました。
「日記」の中で特に重要なテーマとして青木さんは「光の至高体験」をあげていらっしゃいます。しかし、結果的に映画の内容は「日記」とは異なるため、原作者としての権利は辞退され、映画のエンドロールには全く出てきません。しかし、青木さん自身は、「日記」に惚れ込んで映画づくりに奔走した本木雅弘さんの情熱や苦労を見ており、メールの中でも今回の成功に賞賛の意を述べていらっしゃいました。
映画はあくまでもフィクションですが、多くの人が抵抗なく見ることができる内容になっています。そして、確実に私の心にも多くの方を見送った「真実」と「感動」が浮かびあがってきました。ほとんどの人が身内や知人の死をリアルに経験します。その意味で誰しもが「おくりびと」であり、この映画の中に御自分なりの「真実の光」を見いだせるのだと思います。
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