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2009年2月 6日 (金)

私のしごと観

 宮崎駿監督のアニメ映画「千と千尋の神隠し」にカオナシという登場人物があります。ネット社会の匿名性が脅威となる事件を見るたび、このキャラクターを思い出します。

Kaonashi  自らの顔や言葉をもたないカオナシは、主人公の千尋の優しさに触れて、小さなうめき声をあげるだけのひ弱な存在にしか見えません。実はその孤独感はブラックホールのように底なしです。カオナシは手から金(の振りした土塊)を出し、金塊に目がくらんだ者とその欲望を呑み込み、そのたびに体が巨大化し、凶暴化していきます。その者たちの声や姿を借りて、「千尋を呼べ」と荒ぶるのです。呼び出された千尋は恐れることなく、金なんか要らない、と言ってカオナシを激怒させます。おそらく、その凶悪さがカオナシの本質から出たものではないことを見抜いていたのでしょう。その後の展開は‥映画を見てください。

 他に、廃墟と化したテーマパーク、食欲の権化になって豚の姿に変えられてしまう両親、超過保護の巨大児など現代を象徴した場面がいくつも出てきます。

 テーマの一つに「仕事」があります。千尋が迷い込んだ異界は湯婆婆(ゆばあば)が仕切っています。湯婆婆に仕事をもらえない者はここでは生きてはいけず、虫や動物に姿を変えられてしまいます。そして、仕事をもらった者は名前を剥奪されてしまうのです。
 千尋:働かせてください!
 湯婆婆:分かったから静かにしておくれ!(赤ん坊に向かって)おお~よしよし契約書だよ。そこに名前を書きな。働かせてやる。その代わりいやだとか、帰りたいとか言ったら、すぐ子豚にしてやるからね。
 千尋:あの、名前ってここですか?
 湯婆婆:そうだよ。もうぐずぐずしないでさっさと書きな!まったく…つまらない誓いをたてちまったもんだよ。働きたい者には仕事をやるだなんて….

 様々なミスを繰り返しながら、つらい「仕事」を何とかこなして、たくましく成長していく千尋の姿を通して、現代の仕事観に欠けている次の視点を教えてくれます。
 「自分が探した仕事は、実は天がくれた天職かもしれない」
 「自分が仕事を選んでるように見えても、仕事が自分を選んでいるのかもしれない」
 「自分が仕事を変えるのでなく、仕事が自分を変えてくれるのかもしれない」

 現代日本は常識はずれの異界にも似た様相を呈しています。でも、そんな世界でも、自分の心中にあるカオナシを暴走させず、自らの居場所(名前)を見つけ、かならず満足のゆく人生をおくることができるはずだと思うのです。

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