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2008年5月

2008年5月30日 (金)

新美南吉「歌時計」

 今日の朗読音声は新美南吉の「うた時計」です。うた時計というのはオルゴールのことだそうです。野中のさびしい道を歩く少年に、同じ方向へ向かう男が声をかけます。道々話をしていくうちに、意外にも二人には接点があって‥という内容です。今ではありえない光景で、昭和世代の心をなつかしい郷愁(ノスタルジア)へと誘います。(C)MP3 by Saya Tomoko

 豊かに、そして便利になった平成という時代。確かに町には物や音や情報があふれています。それらを欲しがる気持ちを「物ごころ」といいます。私たちは二三歳過ぎる頃に「物ごころ」に憑(つ)かれ、それと葛藤しながら大人へと成長していきます。

 でも、物や音や情報は吸収しすぎると内臓脂肪のように自らを傷つける毒になるかもしれない、と感じています。もちろん、必要なものですから、うまくコントロールできれば良いのですが、‥。

Hashiruko  簡素なスローライフをすすめると皆さんは「いいねえ。こんな生活をすれば健康になるし、病気なんて治っちゃうんじゃないの」と言葉では言うのですが、でもそれを行う人はあまりいません。おそらく、童話の世界を垣間見たような気分なのだと思います。私も昔は「現実にはありえない生活」と思っていました。そんな生活を続けていると人間だめになるんじゃないかと。でも、そうではなかったのです。

 現実に原油の値上げで社会の基盤が揺らぐのを見ると、物ごころをコントロールしているつもりになっているだけで、もう実は後戻りできないぐらい肥大化させてしまっているんじゃないかと心配になります。

 「うた時計」の少年の素朴さや純粋さは、現代人にとって「現実にはありえない」もので気恥ずかしささえ感じるでしょうね。でも、それが男の暴走を止めるのです。まるで天使がそのためだけに舞い降りてきたように‥。 

 

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2008年5月26日 (月)

新美南吉「二ひきの蛙」

 今日の朗読音声は新美南吉のユーモラスな小品「二ひきの蛙」です。効果音・BGMに加え、朗読の世界ではおきて破りの試みをしてみました。それはナレーターである地の文の読み手を登場人物に仕立てあげてしまったのです。短い作品でファイルも小さいので是非聞いてみてください!

 緑の蛙と黄色の蛙が冬眠前にケンカしてしまい、翌年冬眠からさめた二ひきは‥という内容です。地の文は「おかあさんといっしょ」のポロリ風、黄色い蛙がグーフィー風など声を演じ分けています。

 さて、今日のリラックス法happy01は睡眠の活用です。今日やるべき事は今日やる、という心がけはとても良いのですが、明日会って話せば良い事を思いつきでメールしてしまい失敗したことはありませんか。特に感情が高ぶっている時、疲れている時は一度スルーし、睡眠をはさんで翌日に対応すると、気分が違って結果も良いのです。それから居眠りの上手な利用方法。昼休みなどに短時間居眠りする練習をすると、頭も体もスッキリとリセットできます。でも、夜更かしが原因なら、そちらの修正が先です。

Nihikinokaeru  写真は大仁瑞泉郷のある浮橋地域の田圃と「二ひきの蛙」イメージを合成しました。5月の連休あけには田植えが進み、鏡のように周囲の山姿を映し出す田園風景になります。夜ともなると蛙の大合唱を聞こえますが、私たちにとっては騒音ではなく不思議に癒されるんです。

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2008年5月24日 (土)

植物は天才である 2

 植物が天才だと思うのは、挿し芽の時にもあります。我が家に成長したアジサイの木が四本ありますが、これは三年前にアジサイの葉っぱを挿し芽して育てたものです。

 あの切れ端のように小さな葉と茎の一部から、根が生え、茎が伸び、葉が出て、ついには大輪の花を咲かせるようになるなんて、実際にやってみると衝撃でした。ヒトの体細胞を万能化して、いろいろな臓器を作ろうというのが最先端の再生医療です。でも、植物の場合は家の庭で、しかも土にまみれた手でおおざっぱにチョンチョンとやるだけで、それが可能になります。

Ajisaisashime1_6 Ajisaisashime2_2 まず、アジサイの花が咲かなかった部分を左上図のように切り取ります。

 次にチョンチョンと葉と茎を整理して、かなりコンパクトにしてしまいます。こんなに切りつめていいの?という感じです。

Ajisaisashime3  そして、乾かないように養生しているうちに、根が生えてしっかりしてきます。あとは秋になって地面や鉢に定植するだけです。

Ajisaihaname  それで、一片の葉からこんなに大きな木になり、今年も花芽をいっぱいつけて咲き始めるのですから、感心です。

 植物のいのちは無限だなあと感じると同時に、植物がこれだけできるのなら、人間にも無限の可能性があるんじゃないかなあ、と単純な私には思えて仕方がないのです。

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2008年5月23日 (金)

横光利一「春は馬車に乗って」その2

 横光利一「春は馬車に乗って」の後半部分です。横光は妻の君子を結核で失っており、フィクションが混じっていても、実際を反映したものだと思います。

 現代は介護地獄という言葉がよく使われます。しかし、戦前は結核で家族を介護するのは当たり前でした。それも若い世代が倒れ、家族も感染や死の恐怖を感じながら介護していたのです。恐らく、横光夫婦のように消耗戦になってしまう場合が少なくなかったでしょう。考えてみれば、これは現代にも通じる「在宅介護小説」と言えるかもしれません。

 前半では、理性的な夫と感情的な妻の間に交わされる会話が、お互いを傷つけあっている感じで、聴く方もしんどいと思います。しかし、実は二人は心の底では深く愛し希求しあっていることが、後半部分でわかってくるのです。

Umibe_2  最後の場面で、あれほど運命に翻弄され、切り裂かれそうになっていた夫婦が、やがて来る死を受け入れることで心が共鳴しはじめます。印象に残る美しい名シーンですが、読者も緊迫感から一気に解放された気持ちになります。「困難からの脱却」「争いの和解」というテーマの小説や映画を見ることで、悲劇であっても精神の解放感(カタルシス)を得ることができるのです。重さを感じてしまう人も何度か聞くと印象が変わるかもしれません。

 BGMではラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」を使用しましたが、最後の場面で妻は亡くなってはいません。横光にはもう一つ君子を題材として「花園の思想」という作品があります。写真は静岡県御前崎の海岸です。(C)MP3 by Saya Tomoko

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2008年5月22日 (木)

横光利一「春は馬車に乗って」その1

 今回から二回にわたって横光利一「春は馬車に乗って」の朗読音声をお送り致します。会話の部分が多く、ほとんどラジオドラマのようになりました。内容は結核におかされた若い妻を看病する夫の苦悩の日々を綴ったものであり、たいへん重い内容です。緊迫した場面が多い、この小説を選んだ理由は次回に明らかにします。

 横光利一は川端康成と同じ新感覚派に分類される小説家です。現代的な文体から、これが昭和元年に作られた作品とはにわかに信じられません。また、特徴的なのは映画的手法が使われていることです。当然、音声にするとラジオドラマ風になってしまうわけです。

 今回もM-BOXから音楽を使わせていただきました。選曲や編集はこれから少しずつ腕を上げていきますので、温かい「耳」で聴いてくださいね。(C)MP3 by Saya Tomoko

Fujiyukeim  さて、左は一昨日の夕方、この時期には珍しく残雪の富士山が我が家から見ることができ、美しい夕焼け空とともに写真におさめたものです。家族そろって富士山が好きで、障害物が無く眺められる、この土地に定住してしまいました。朝焼けの中の富士山はもちろん、満月の月明かりの中で白く浮かび上がる姿もまた幻想的です。なぜ日本にはこのような美しい山があるのか不思議です。それを見ることができる幸せに感謝! 

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2008年5月21日 (水)

植物は天才である

 冬の庭の植物たちは一部を除いてほとんど息をひそめてしまいます。ところが、翌年の春から夏にまた同じ花に再会できることがあります。地上の茎や葉はすっかり枯れてしまっても、根が残っていて、そこから成長してくるのが宿根草です。ギボウシ、キキョウ、都忘れ、クレマチス、シャクヤク、スズランなどです。宿根草だと知ってて植えているのですが、でも顔を出すと「やあ、また会えたねー」と感激します。それも多くは二年目がぐっとゴージャスになります。

 次は球根植物です。水仙やムスカリやゼフィランサスは翌年に顔出すだけでなく、球根がどんどん増えて年々ボリュームアップしていきます。庭の持ち主は何も努力していないのに、これらの植物は律儀にも毎年姿を披露してくれて、庭造りを手伝ってくれます。

 その中でも一番驚くのは皇帝ダリア、別名木立ダリアです。5月頃、顔を出して半年ほどで4~5mの立派な木にまで成長して、11~12月にてっぺんの方で大輪の花を咲かせます。我が家では4年目ですが、今年は大丈夫かな?と心配するのですが、毎年しっかり出てきます。それも、朝見た時と夕方でははっきりわかるぐらい大きくなるんです。wobbly

Hatsuyuki2m Hatsuyukim

 宿根草よりも感動的なのは、一年草なのにこぼれ種から毎年成長してくる植物です。中でも定着率が良いのがハツユキソウです。花ではなく葉がレースの縁取りをしたように華やかで、長く楽しめます。どこに出てくるかわからない偶然性がまたいいのです。双葉も目立つので雑草と間違えて抜いてしまう恐れがありません。他にノースポール、マリーゴールド、トレニア、コキア(ほうきぐさ)などが、フーテンの寅さんみたいに必ず舞い戻ってくる植物たちです。

 「雲は天才である」というのは石川啄木の小説の題名ですが、いつも庭いじりするたびに「植物は天才である!」とつぶやく私。そのたびに何だか「世の中捨てたもんじゃないなあ」と前向きになれるんです。でも、植物を天才とする理由はまだまだたくさんあるので、シリーズ化して、いつか続編をアップします。

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2008年5月19日 (月)

一食抜いてみる

 現代人は食べ過ぎの害があります。からだをそんなに動かしていないのに、頭が疲れているから余計食べたくなります。それで余分な脂肪がお腹にたまっていき、病気の原因になるというのです。子どもの頃はお腹と背中がくっつくぐらいに空腹になって、「母ちゃん、ごはん!」と叫んだものです。でも、今は時間が来れば食べようかというぐあいです。

Kuufuku2

 昭和の文豪谷崎潤一郎は「西洋人や勤め人は食事の時間を決めているが、あれは日本人には向かない」と書いています。そして、日本人は西洋人のように几帳面に運動などできない、だから粗食がおすすめ、とメタボ時代を予測したかのような発言をしています。

 そうはいっても無理なダイエットや断食療法は体調が悪くなる可能性があります。そこで一食抜いてお腹をスッカラカンにしてリセットするプチ断食をおすすめします。もちろん、やせていて、食欲や体力が落ちている時はやめてくださいね。水分はちゃんととって、しっかりと空腹と満腹を感じ、抜いた後の食事もゆっくり味わうようにとってください。せかせかと落ち着かない心が一食抜いただけで、ほら、リラックスhappy01しているでしょ。

Kuufuku

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2008年5月16日 (金)

水を楽しむ

Shiminnomori  ここ大仁瑞泉郷と県道の境を深沢川が流れています。源流には約15ヘクタールの自然公園、市民の森浮橋「グリーンランド大仁」が作られています。冒険遊び場や展望広場などがあり、夏には家族連れで訪れる方が多い穴場です。蛍も見られるそうです。瑞泉郷とは地続きになっていて、開放的な農場や花苑から急に深閑とした森の中に入っていくと、気分がページをめくったように変わります。そして、更に進むと、大小の岩で河原が作られた川が縦横に走っており、小さいお子さんでも川遊びを楽しめるようになっています。

 考えてみると、水は不思議な物質です。地球が青いのは大気と水があるからです。作物も太陽と水と大地が揃ってはじめて健康に育っていきます。私たちの身体の6~7割は水でできています。この地球上で水の恩恵を受けていないものはありません。

 そして、水は一つのかたちにとどまりません。海の水は熱せられて天に昇り、雲から雨になって高い山に降りそそがれます。細い源流は集まり、大きな川となり、ふたたび海へと注ぎ込まれます。それだけでなく、池や滝や虹など千変万化するのです。

 今日のリラックス法は「水を楽しむ」です。水の楽しみ方はまずです。チョロチョロとか、ザーザーとか流れる音に耳をすませてみましょう。次は、その姿です。水は透明なのに、流れたり、波打ったり、しぶきをあげたり、一秒たりとも同じ形には見えません。静かな湖の水面でさえも、風や光の御陰でキラキラと輝きます。その姿をボーッと眺めているだけで時間を忘れます。そして、感触です。冷たい水に手を浸すと、自然と一体となる感じがあり、肩の重荷まで流し去ってくれます。

Seseragizone クリニック周辺には水の流れがないので、せめて音だけでもと人工の流れを作りました。「せせらぎゾーン」として、来院者だけでなく鳥にとっても憩いの場所になっています。天候の良い時はそこで音楽療法を受けてもらうことがあります。自然の音と楽器の音のコラボレーションです。

 「また田舎限定か」と怒らないでください。都会であっても大丈夫。水の流れを楽しむインテリア、波や滝や雨の音を録音したCD、いくらでも「水を楽しむ方法」はありますよ。

 おすすめのCD: Dan Gibson[Piano Cascades]  アイソトニックサウンド「水」 「海」

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2008年5月14日 (水)

ツボ押し体験アンビリーバボー

  人間の体の不思議な性質にツボというのがあります。足の裏や手に、体の各部に対応したツボがあり、そこを軽く刺激するだけで、それに対応した部分が楽になってくるのです。色々なツボの見方がありますが、ここでは覚えなくても簡単にできる手のツボをご紹介しましょう。

Hand1_4 Hand2_2

 左手の甲を人体になぞらえてみてください。たとえば、右肩が痛ければ、黒丸印(人差し指と中指の分かれる所)を押して痛い部分があります。

 そこを楊枝の頭の部分でトントンと軽く刺激したり、指で揉んだりすると、肩の痛みが軽くなることがあります。右手を使う場合は、裏表にせず、薬指と中指の分かれる所に圧痛点を探します。

 首や背中を後ろにそらせても痛くてそりにくい感じがあります。その時に中指を引っ張りながら甲側にそらして柔軟にすると、あら不思議、首や背中も後ろに曲がりやすくなります。

 ツボは解剖学的に調べても他の場所とは何ら違わないそうです。でも、目くじら立てず、その人にとって効果があるならば、リラックス法happy01として生活に取り入れたら良いと思っています。でも、強い刺激は禁物です。 

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2008年5月12日 (月)

樹木に触れる

Sekitaookusu_3  樹木は大きくなるのに数年、数十年かかります。巨樹ともなれば樹齢数百年にもなり、人間よりも長く地域の歴史を見守ってくれています。尊敬できる長老のような存在です。(右の写真は静岡市関田神社のクスノキ)

 大きな木を見つけたら、まず見上げてみて、それから木肌にやさしく触れてみてください。今度は大きく腕を広げて幹に抱きついて、しばらく目をつぶって葉ずれの音を聞いてみてください。母親に抱っこされた子どものように、元気をもらえるかもしれません。簡単にできるリラックス法です

Kenbitabunoki 最近は管理上の責任や子どもの安全をはかるために、木登りを許す親が少なくなりました。私の子どもの頃はよく木に登ったものです。木肌の感触や風の匂いや眺望を楽しむだけでなく、高い所に登るための心と体の構えを覚えこむことができました。左は十数年前に某美術館近くのタブノキを撮影した写真です。今となっては貴重な記録になりました。

Hiraiookusunoki2 クスノキの仲間は常緑広葉樹といいながら、この時期に落葉します。新しい葉に追い出されるようにして一斉に古い葉が落ちるため、丸坊主になりません。混み合っていた葉がスッキリ整理され、春の陽射しが根元まで差し込みます。右の写真は私の地元天地神社のオオクスノキです。樹齢1000年近くと推定され、幹が手を開いたように枝分かれしているため巨大な掌をイメージさせます。車で近くを通る時にも「やあ」と手をあげて挨拶してくれているような感じです。あなたの家の近くでお気に入りの樹木を見つけてみてはどうでしょうか。

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2008年5月 9日 (金)

若山牧水「比叡山」その2

 若山牧水の「比叡山」後半部分です。前半は夜の場面が多く、陰にこもる傾向があるのに対し、後半は陽のイメージが加わっています。宿泊所がなくて困っている牧水に救いの手がさしのべられます。そこで高齢の寺男との出会いがあり、それについて牧水は「山寺」という続編まで作っています。よほど心にしみた出来事であったようです。(案内地図

 この時代の平均余命は40歳前後で、牧水は43歳で亡くなりました。ところが、ここに登場するお年寄りは当時の超高齢者で、一人は酒で身代をつぶし、現在は身寄りのない独居老人です。現代社会の先取りのような一編です。

Bokusui  それでも昔は、お年寄りは長年の智慧や経験を持った長老として尊敬され、実際に地域社会の長としての役割を担っていたと思います。ところが、現代のようなマニュアル社会では、そうした智慧や経験を手取り足取り若者に伝えるシステムが失われてしまいました。お年寄りは余生を自分で勝手に楽しんでよい代わりに、自信や後進からの尊敬の念を得られにくくなっています。

 牧水は石川啄木の死を看取り、その後の葬儀もろもろのお世話をしました。そこには友情はもちろんのこと、弱者や敗残者と呼ばれる人々へのやさしいまなざしがあったのだと思います。また、晩年定住した沼津の千本松原を愛し、伐採に反対するような文章を新聞に寄稿しています。そして、次のような歌も詠んでいます。

 松原のなかの老木の枯れたるを伐(と)る音きこゆ昨日も今日も

 枯れた老木であっても伐採の音がグッと胸にこたえたのかもしれませんね。そんな牧水の「やさしさ」に触れることが、私のリラックス法happy01の一つなんです。 

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2008年5月 8日 (木)

若山牧水「比叡山」その1

 今日の朗読音声は若山牧水「比叡山」その1です。これは大正期の旅日記、いわゆる紀行文です。以前にもお伝えしましたが、牧水の文章は独特な味わいがあって、気に入っています。そればかりではなく、牧水は各地で歌を詠みながら、名所旧跡を踏破し、酒を飲み、人と交流し、現代人とは違う価値観で旅を楽しんでいるので、より一層面白いのです。

 旅にはハプニングがつきものです。今回の「比叡山」でもいきなりのピンチ!があり、はじめは牧水も嫌気が指しますが、だんだんトラブルに慣れていきます。

Natureview  そして、旅には出会いがつきものです。何故か牧水が出会う人達はキャラクターの濃い、愛すべき人物が多いのです。ここでは老婆、子ども、老爺(ロウヤ)などが登場しますが、それぞれとの一期一会を楽しんでいるかのような描き方がされています。

 更に、旅には風物が欠かせません。美しい景色があり、天候や四季によって自然の移りゆく姿があり、その土地の食事や酒があり、そしてそこに住む鳥の声などがあります。牧水はどれもおろそかにせず愛情を注ぎながら丁寧に描き出していきます。

 是非、牧水の「旅のこころ」に触れてみてください。

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2008年5月 6日 (火)

舞台劇「天国と地獄」

 今日は私のオリジナル舞台劇「天国と地獄」の朗読をお送り致します。これは次のような「天国と地獄」についての説話を元にしています。

 まず、地獄に行って来た人の話です。そこは宴会場でご馳走を目の前にして人々はケンカをしています。見るとそれぞれが1メートル程の長い箸を持っており、せっかくの美味しい料理も自分の口に入れられないようなのです。

 次に、天国に行って来た人の話。まったく同じ状況なのに、争いもなく、みんなで料理を堪能しています。それは長い箸を使って席の向かいの人の口に料理を運んでいるからで、誰も食いはぐれることがありません。

Fufu1  昔から知っていたものの、若い頃は話のネタぐらいにしか思っていませんでした。しかし、色々経験した今では、人間の幸・不幸はその人のとらえ方・処し方によってずいぶん影響されることがわかり、よくできた話だと思っています。

Fufu2  今回の舞台劇「天国と地獄」は二つの家庭の何気ない日常生活風景を描いたもので、恐ろしい事件は何も起こりません。しかし、人生にはその人の考え方や言動やコミュニケーション次第で、地獄的にも天国的にもなる「分かれ道」があるのかもしれない、と感じて創作しました。

 はじめて朗読音声に音楽を挿入してみました。10年以上HPのBGMでお世話になっている【M-BOX】のフリー音源を使用しています。お楽しみ下さいhappy01          (C)MP3 by Saya Tomoko

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2008年5月 5日 (月)

花まつり最終日まであと二日

 今年の大仁瑞泉郷花まつりは連日多くの方が来場されました。残念ながら芝桜は終わりになりましたが、これからもまだ花は充分楽しめます。

Blog0504c_2  まず、ツツジです。駐車場から出ると、山の斜面の上の方にツツジが並んで咲いているのが見えます。そこから、調整池のある洋風公園に足を運ぶと、急に視界が開け、大パノラマが広がります。池の周辺にもツツジが植えられていて、桃源郷に遊ぶ思いになるでしょう。

Blog0504b_2 少し昇っていきますと、ツツジ山のすぐ手前にまで行くことができます。そこにボタン園があり、大輪のボタンが満開になっています。和風と洋風に分かれているので、違う雰囲気を楽しめます。視野の中に、近接したボタンと遠景のツツジ山を入れることができます。

Blog0504d_3   健脚であればぜひ展望台(万象台)に昇ってください。農場を一望できます。斜面の久留米ツツジは満開ですが、これから写真のように平戸ツツジが咲いてきます。ここからクリニック周辺の散策路まではすぐです。道端には立性のヤマツツジがところどころに植えられており、来院者の目を楽しませています。

 花まつりが終わると少しの間「新緑」が主役になりますが、その後からサツキ、クチナシ、ハナミズキ、ユリ、アジサイなど季節の花々が園内各所に咲いていきます。ガーデニングが好きな私は花だけでなく葉や樹木をノルディックウォーキングしながら見るのが何よりのリラックス法happy01になっています。トサミズキ・マルバノキ・フッキソウなどの葉の形の美しく愛らしいこと!

 花まつり以後も来場はOKですが、農場を管理するNPO法人MOA自然農法文化事業団に開場時間などをお問い合わせすることをおすすめします。

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2008年5月 2日 (金)

セロ弾きのゴーシュ その3

 子どもの頃は「セロ弾きのゴーシュ」をあまり好きになれませんでした。動物たちに対する仕打ちや言葉から、ゴーシュは「イヤな人」としてしか見えなかったのです。また、その孤独な境遇に同情するよりも目をそむけたい感じがしました。ですから、ゴーシュの演奏がほめられるほど上達しても「そんなの関係ない」わけです。

 ゴーシュは数日間かけて、その内面が変わっていくのですが、それも理解できずに「相手によって対応を変える人」ぐらいにしか思っていませんでした。

 それから最後の場面でゴーシュはかっこうにだけ謝っています。でも、猫や狸の子に対しても充分ひどい言動があったはずで、子ども心に納得いきませんでした。(それについては最近新説が出されているようです)

Nightclinic  しかし、大人になってみると、ゴーシュの偏屈さや不器用さが誰にでもありうることだとわかってきます。その彼が夜ごとの訪問者と接するうちに、数日で野ネズミに慈悲の心を表すまでに変わっていきます。彼は自分の変化に気づいておらず、演奏会のアンコール曲を弾いた後の周囲の反応でやっと気づかされるのです。だから、今では逆に愛すべき素敵な物語と感じられるようになりました。

 宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」に「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉があります。他人との交流によって人はこのことに気づかされるのだ、というメッセージが「セロ弾きのゴーシュ」にこめられているのかもしれません。

 だから、あの憎たらしい猫catさえも自分を幸せにする使者の一人だった、とゴーシュ君はうすうす気づいているに違いない、今の私にはそう思えるのです。

 (写真はクリニックの夜景です。建物全体が飛翔する鳥のイメージで設計されたので、山へ飛び立とうとするかっこうの姿をほうふつとさせる‥でしょ?coldsweats01

 

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2008年5月 1日 (木)

セロ弾きのゴーシュ その2

 宮沢賢治の生誕100周年の夏に家族で岩手旅行をしました。奇しくも私の年齢が、賢治の亡くなった37歳になる年だったと思います。もう12年も前のことです。

 講演会・健康相談や視察を織り交ぜながら、知人の案内で岩手各地を回りました。そのしょっぱなが賢治の生まれ故郷である花巻市だったのです。

 偶然にも、賢治の教え子で、今は農学者の方からお話をうかがう機会がありました。もうかなりのお年でしたが、宮沢賢治先生への敬慕の念を持ち続けていたのには驚きました。変人で嫌われていたわけではなかったのです。

Yodakam  私も大人になってからの宮沢賢治ファンで、パロル舎偕成社の大型絵本を買い集めていました。そこで知人に頼んで、賢治ゆかりの地を訪れることにしました。「宮沢賢治記念館」では賢治の「農民芸術概論綱要」を買いました。少し高台にあって、テラスから遠景で、北上川がゆるやかなカーブを描いてこちらに流れる姿が眺められたのを覚えています。そして、賢治が農耕生活をし、付近の農民達に農業や芸術を教えた「羅須地人協会」という建物も見ることができました。

 さらに岩手の最終泊した旅館で賢治の生涯を描いた地元出版社のマンガ(岩手日報社)を手に入れました。それが良くできていて、今でも時々読み返していますが、読むたびに何だか切ないようなジーンとした気持ちになるのです。

 それだけのことですが、振り返ってみるとその旅で宮沢賢治と深い心の交流ができたのではないかと思います。というのは、その旅の途中で短歌を詠み始め、無趣味であった私がイラストや童話を手がけるようになったからです。そして、今、私は農業と芸術に関わりを持った仕事をしています。まるで、かって宮沢賢治に教えられた生徒が大きくなって、その教えを守り実践しているような感じです。

 今日のリラックス法happy01は趣味をテーマにした小旅行を楽しむ、です。作歌やスケッチのため、陶芸の里・美術館・史跡などを訪れるため。日常生活のリズムを変えると、今までに経験したことのない新しい世界や自分が発見できることでしょう。

   

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