芥川龍之介「杜子春」その3
今回は芥川龍之介「杜子春」の最終回です。修行中に魔性のものに殺された杜子春は地獄でもだんまりをきめこみます。怒り心頭に発したエンマ様は畜生道におちている杜子春の両親をムチで叩きまくったのです。息も絶え絶えに母親が語りかける言葉に、思わず杜子春は‥。
黄金を与えても遊びほうけて使ってしまう杜子春。それも二度、いや親の財産を入れると三度。その杜子春に鉄冠子は小言を一切言わずに「感心にもののわかる若者」とほめています。そして、真面目に働くつもりのない杜子春が仙人の修行を望んだときに、一喝することもせず、取り立ててやる、というのです。かなりの特別待遇です。
ところが、修行は一転して、これでもかというほど厳しく残酷なものになります。その中で杜子春は或る悟りを得るのです。
実は黄金を与えてゼイタクをさせ、その後に転落させるという経験自体も仕組まれたものだったのでしょう。鉄冠子の目的が最初から杜子春の成長にあったのだと気付きます。それも頭から説教するのではなく、実体験から学ばせたのです。
エンディングの一連の鉄冠子のセリフがこの作品を名作の域に高めたのだと言えます。鉄冠子がただの酔狂で杜子春に関わったわけではなく、真剣な思いがあったことをうかがわせます。杜子春に対する深い慈愛に満ちた眼差しの理由を、彼が杜子春の家の守護神であったと考えると納得がいきます。杜子春が精神的に成長し、自殺や一家の断絶の恐れがなくなることは鉄冠子にとってこの上もない喜びなのです。
私は児童用にリライトされた「杜子春」を読んだことを覚えています。人間の顔のついた馬が挿絵になっている地獄の部分は嫌だったのですが、エンディングはお気に入りでした。鉄冠子が杜子春にプレゼントした畑付きの家や桃の花が咲き誇っている桃源郷を想像したものです。杜子春や読者にとって地獄の情景を見た後だからこそ輝いて見えるのだと思います。
私も杜子春のように色々な苦労や愚かな時代を経験して、大仁瑞泉郷にたどりつきました。だからこそ最高のプレゼントだと感謝しています。
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